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歴史的沿革

    漢人の開拓

     
    明の海賊林乾は都督(軍司令)?大猷に追われ、台湾の大奎壁(台南県鹽水鎮)、劈破甕(水上鄕)に逃れました。

    明の萬暦二年(1574年)十一月、福建の海盜林鳳は、明の総兵(将校)胡宗仁らに追われ、澎湖から東番魍港に逃れました。

    萬暦三年(1575年)十一月、林鳳は禁を犯して再び福建に入りますが形勢は悪く、広東に向かいます。その時の拠点は魍港にありました。

    漢人による今の嘉義県の開拓は、「劈破甕」、魍港が主な場所で、魍港は中国の海賊、漁民、原住民らが接触する一大拠点となりました。

    魍港は海賊の巣窟であるほかに、漢人たちが内地に向けて開拓する拠点でもありました。

    天?元年(1621年)、顏思齊(?-1625)は海賊を率いて台湾に移り、魍港を拠点としました。「十寨」を根城として海賊に出たのです。

    「十寨」は清朝初期のいわゆる「外九荘」一帯です。「外九荘」とは高拱乾の『臺灣府志』によると、大奎璧(台南県鹽水鎮市街)、井水港(鹽水鎮井水里)、下茄苳(台南県後壁?嘉苳村)、鹿仔草(鹿草郷鹿草、西井、鹿東三村)、龜佛山(鹿草竹郷山村亀仏山)、南勢竹(義竹南郷竹村南勢竹或朴子市南竹里南勢竹)、龜仔港(朴子市順安里)、大小?榔(朴子市太葛、大郷、仁和三里)、大?田(朴子市?後、竹村里或布袋鎮見龍里?里)の九の村莊にあたります。

    天?五年(1625年)七月、鄭芝龍(1604-1661)は顏思齊の配下になりますが、二ヵ月後には病死した顏思齊の後を引継ぎ、台湾を拠点とする海賊の首領になりました。

    崇楨元年(1628年)九月、鄭芝龍は福建巡撫の熊文燦に降伏します。その後鄭芝龍は台湾を離れて中国大陸に移り、大陸沿岸の発展に寄与しました
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