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歴史的沿革

    オランダ統治期(1624-1661)

     
    1624年、オランダは当時フォルモサと呼ばれていた台湾に進駐し、大員(台南市安平区)にゼーランディア城(安平古堡)を築いて支配を始めました。

    崇楨元年(1628年)九月、鄭芝龍は明に降伏し、その勢力は弱まりました。それを機にオランダは、1930年年代初期に魍港に進出し勢力圏にしました。オランダはここを極めて重要な拠点として注目し、城を築きました。

    1636年10月に堡塁(清朝統治期には青峰闕砲台とよばれる。今の布袋鎮好美里虎尾寮)が築かれ、兵士20人が常駐し北路沿海一帯防衛のための拠点になりました。

    1644年8月、堡塁が崩壊したため、オランダは哨戒のため「菲立辛根」と呼ばれた砦を築きました。しかし砂州の上に築かれた砦であったため、自然災害に見舞われていました。(1661年、鄭成功台湾上陸の十二日後ここを視察し、堡塁の重要性を見て取りました。しかし清朝初期にはこの堡塁は廃墟となりました。)

    1641年11月、オランダの軍隊は笨港(Ponckan、Ponkan)溪口に上陸し、岸には防衛のため小船を係留し、そこに兵士20名、中国人150名が食料や武器を携帯して一時的に駐留しました。

    天1644年12月まで笨港溪に駐留した三人の兵士の記録があります。1648年6月18日には笨港溪に一人の下士官と十人の兵士が派遣されました。伝聞によると米の密輸を防ぐためという事です。

    オランダ統治時代は今の嘉義県の地域の開拓が進み、1630年代以、「菲立辛根」は原住民居住区以外の土地の最高統治機構としての役割をはたしました。
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