| 大士爺廟 |
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| 古跡名称: |
大士爺廟 |
| クラス: |
第三級 |
| タイプ別 : |
寺 院 |
| 建設年代: |
乾隆年間 |
| 場 所 : |
嘉義県民雄郷中楽村中楽路81号 |
| 電 話: |
( 05 )226-1464 |
| 奉る神様: |
正殿:大士爺;後殿:天上聖母;配殿:左 は 開?聖 王 陳元光、右
は 開台尊王鄭成功 |
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古跡建設年代及び歴史の沿革 : 清朝嘉慶 1 年 ( 西暦 1797 年 ) に建てられ、 1905 年大地震の後に再建し、 1937 年に完成しました。
沿革:本郷の民衆は清朝の始め中国大陸福建省・広東省から移民してきました。当初は地域の意識がありますので、往々にして細かいことで戦闘が起こっていました。乾隆時代は最も激しく、双方死傷する人が多く、事後協議した上、あまねく済度することにより、祭りを開催して亡霊を済度しました。言い伝えによりますと、清朝の皇太子が嘉慶を観光した際、 打? 閲 筆架山 にてこう言いました: |
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ペン立てを立てれば帝王が生まれ、ペン立てを倒せば大士が生まれる。」言い終わると、一人の大士が膝をまずいてその恩を感謝し、皇太子を大士爺と呼ぶようになり、寺院を建てて奉ることにしました。
( 一説によりますと、疫病が流行し、人民が災難から免れるため、寺院を立ててそれを鎮めた説もあります。 )
特色:
現在の大士爺寺院は東北を向き、三殿三つの門左右に廊下のある寺院建築です。入口は狭く、奥は広くなっています。やや広めの中央部分は大士爺廟であり、前殿外の軒は石彫刻の壁を作りました。これは毎回再建する時期により作り方が違っています。山門は鉄筋コンクリートの造りであり、
歇山 のツバメの尻尾に似た屋根、左山門の上には「 開?聖王」 、 右山門 の上には 「開 台尊 王 」の横額が掲げられています。
中庭で区分けして、左右の廊下と前殿が繋がっているのは第二進正殿であり、メインの奉るスペースです。前の軒柱は六角柱をしており、カラーの龍を描いています。神棚は泥で作った普陀山を背景に、顔立ちの慈悲で優しい大士爺神像を奉っています。厨子の左右にはそれぞれ
韋?菩薩、伽藍菩薩 の神像を置き、左右山の壁には 十八羅漢 を奉っています。正殿は丸いアーチ門を開け、それぞれ左右の配殿に通じています。左の配殿は
?州人 の守護神である 開?聖王陳元光 、右の配殿は 開臺尊王 鄭 成功 を奉っています。
第三殿は後殿であり、メインホールは 天上聖母 を奉り、中には嘉慶 12 年丁卯寺院建設したとの内容が書かれています。
1962 年壬寅には「慶誠宮」の横額を修築し、卓上には道光 25 年乙巳 (1845 年 ) の石香炉を供えています。左右の間には
城隍爺 と 註生娘娘 を奉っています。
正殿に通じる左右の廊下の壁には、修築した石碑を嵌め込んでいます。廊下左壁には ( 民雄慈済寺建築寄付芳名石碑
) が嵌め込まれ、これは 1923 年 癸亥 修築した時に立てられたものです。廊下の右壁には 1974 年甲寅・
1979 年 已未 ・ 1983 年 癸亥 まで各回修築の石碑が立てられています。 |
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古跡の現状:
元の景観である木造を維持しています ( 外回りはレンガ造り ) 。全部福州杉を骨組みとして、精巧な彫刻で完成し、中国固有の特徴を保っています。
企画情況:
現在使用している土地は寺院用地に編纂されています。周囲は商業区として編纂し、繁華街の中心地にあります。 |
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